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連載企画第1回 人生のやりがいを求めて中小企業診断士人生を歩む

平成の最後の月、平成31年4月、中小企業診断士として独立した。中小企業診断士試験合格、登録から32年目の春である。それまで企業内診断士として長い月日が経っていた。現在、独立して「人生のやりがいを求めて中小企業診断士人生を歩む」ことを実感している。

中小企業診断士試験、海外駐在、単身赴任

 昭和62年4月、晴れて中小企業診断士登録。官報を購入して我が目で確かめた。通商産業大臣登録鉱工業部門5470番。前年の盛夏、都内の大学で中小企業診断士の第一次試験が行われた。鉱工業部門と商業部門しかない時代。初めて情報部門の試験がその時から行われた。当時小生28歳。電機メーカーの川崎の工場で入社6年目。資材部の平社員時代である。中小企業診断士として会社を辞めて独立したくて受験したわけではない。当時、工場の資材部の仕事では、鉱工業の知識(図面の読み方、材料部品の知識など)、生産管理、資材調達の知識などのほか、取引先中小企業の経営分析、原価管理など幅広い知識が必要であったので、仕事に役立つだろうと考えて勉強を始めた。また、我が社の資材部門の先輩たちの多くが、この試験に挑戦し合格していたので身近な試験であった。長男も生まれた直後で、何をやっても若くて勢いがあった。将来海外駐在をしたいという夢ももっていた。

 入社した時からの夢は海外駐在。その夢の実現は平成6年、37歳の時。6年間の海外駐在期間は、中小企業診断士の資格は休眠状態で、帰国後、理論更新研修を数年受ければ、資格更新ができた。
 
 海外と国内のビジネスの両方を経験し、管理職として部下の管理・育成、採用(日本と米国)も実際に経験した。生産管理や資材調達の本来の業務のほかに、営業(海外)、貿易、総務、法務、経理、企画、コンプライアンス、監査など、さまざまな業務を経験することができた。

 その間、中小企業診断士として独立することなく、55歳で役職定年、関連会社で60歳定年を迎え、65歳までの再雇用で会社員生活の幕を下ろす予定であった。その間、勤務地は川崎、東京、米国ボストン、愛知、栃木、東京、川崎と振り出しに戻った。単身赴任も経験した。

やりがいを求めて独立

 なぜ61歳で独立したか? 難関試験を突破して30年以上、理論更新研修を受講し繋いできた資格をいつの日か活かしたいという思いがでてきた。慣れた仕事で65歳まで安定した生活が保証されていた。そんな時、サラリーマンとして仕事を続けるよりは、中小企業診断士として独立した方が良いのではと考えるようになった。61歳で独立する道を選んだ。かっこよく言えば、「やりがいを求めて」の独立である。独立の時期を平成31年4月と決めた、前年11月ころから、独立後の生活設計を始めた。まだ、年金受給年齢には達していないため、確実な収入源を確保しなくてはならない。人生2度目の就活である。民間企業時代は、会社の利益追求のための業務に対する対価を得ていた。独立後は、中小企業の支援をしたい。できるだけ多くの中小企業の支援をしたい。特に地元の川崎市や東京都、神奈川県を中心に活動をしたい。「東京都中小企業振興公社」「中小企業基盤整備機構」にアプローチを始めた。12月~1月にかけて、求人情報が目白押しだった。10以上の職種に応募書類を送った。履歴書、職歴書、応募書類作成では、今までのサラリーマン人生の総決算(人生の棚卸)の内容を記載した。そして、中小企業診断士として、どう生きたいのかを記載した。書面審査、面接後、複数の内定をいただき、独立後の基本ベースの収入の確保はできた。

独立1年目

 独立1年目がスタート。結構自由な時間ができた。趣味のマラソンを走る時間もでき、生き生きした気持ちで、毎日朝を迎えた。月12日は決められた仕事をしなくてはならないが、残りの時間は中小企業診断士としてのやりたい仕事を支援機関からいただけるようにしたい。最初の1年間で、2年目以降の仕事を大きくしたいと考えた。そのために何をすべきか? とにかく走りながら考えた。

【滝沢 典之】

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