
連載企画 総合的品質管理(TQM)と改善(1)
はじめに
筆者は、診断士資格取得後2年も経たない2000年1月から2018年3月まで、JICA専門家として、海外で断続的に総合的品質管理(TQM)/カイゼンの普及指導をしました。2000年当時、TQM手法は論者の数だけあると言われていました。
本シリーズでは海外での講義・セミナー・講演で使ってきたPPT教材を使い、筆者持論のTQMとカイゼンについて論じます。診断協会の「メルマガ」にも筆者の記事が配信されています。ご覧いただけると幸いです。
TQMの狙うところ
4回シリーズの第1回目は、TQM(Total Quality Management)を概観します。TQMとは、顧客重視で全社的なアプローチで品質管理を行い、組織運営と提供する製品・サービスの継続的な改善を目指す手法です。すなわち、TQMは顧客満足を最大化するために、組織、製品・サービス、それらの提供の仕方にまで適用されるとお考え下さい。
TQMで言う品質は「質」と読み替え、TQMは「マネジメントの質」の向上に資するマネジメントと考えれば分かりやすいと思います。TQMは人材管理(HRM)、財務管理、販売管理、生産管理などの各種マネジメントを統括するものだと、私は考えています。図1-1のようになります。

品質と質をどのように理解すべき?
「品質」とは、狭義には製品・サービスの品質を指し、広義にはQCD(品質、コスト、納期)を指しますが、最近のビジネス環境からSE(Safety:安全、 Environment:環境)を加えるのが良いと思います。私は、海外での指導を開始した2000年当時からQCDSEを使っています。もちろん、TQMでの「質」を広義の意味で考えてください。

また、「品質」は、製品・サービスの特定の性能や機能、信頼性などを評価基準・測定基準を用いて示す場合に使用され、「質」は、具体的な測定・評価基準がない場合や、主観的な評価の場合に使われます。例えば、生活の「質」、教育の「質」などです。マネジメントの「質」も抽象的・主観的な質となります。これらの質も定量的に測定しようとすればできるでしょうが、一般的に認められた基準を見つけるのは難しいでしょう。英語ではqualityですが、日本語では使い分けています。
TQMの革新と価値
マネジメントとはPDCAサイクルを回すことであり、PDCAが「マネジメント・サイクル」と言われるゆえんです。TQMのコアのメソドロジーはPDCAとなります。私は、TQMの価値を次のように見出しています。
*TQMの採用によって、組織体全体のパフォーマンスが改善され、持続可能な組織の発展への取り組みに対して安定した基盤が構築されることになる。
*TQMの採用は、全従業員をその活動に参画させる組織体の戦略的な決定であり、組織体の中にトップ・ダウン活動とカイゼンを推進するボトム・アップ活動の二つの活動を明確にすることになる。
TQMのフレームワーク
TQMは、ビジネス・マネジメントの「質」の向上に貢献しますが、そのためにはトップ・ダウン活動とボトム・アップ活動が必要であることを示したものが、図1-3です。同図では、TQMの根幹となるメソドロジーがPDCAであることも示しています。
トップ・ダウン活動は、方針管理、方針展開、トップマネジメント診断で構成され、ボトム・アップ活動としては、日常管理としての小集団活動、カイゼン提案活動と5S活動があります。小集団活動で策定することになるQCストーリーを第3回目のシリーズで論じます。

TQMの史的背景
日本の真の国際競争力が世界的に認知されたのは、ハーバード大学のエズラ・ヴォーゲル教授が1979年に執筆した「ジャパン・アズ・ナンバーワン」(副題:アメリカへの教訓)に端を発しています。私は鉄鋼会社のサンパウロ駐在員の任務を終え帰国した1983年に日本語版を読みました。ヴォーゲル教授はその名著にて、日本の高度経済成長の主たる要因が、中央政府・官僚との協調関係、業界団体・企業との協調関係、企業と労働組合との協調関係などの「集団主義」、「家族主義」を基軸とする社会構造と日本人の努力にあったことを、「アメリカへの教訓」としたのだと大雑把に理解していました。
ヴォーゲル教授がその著作をしたのは、日本が経済大国として台頭したことにあります。日本は、1968年にドイツを抜き、アメリカに次ぐ世界第2位の経済大国になりました。前年の1967年に、私は鉄鋼会社に入社したばかりでした。初任給が30,800円でしたが、毎年、どんどん給与が増額する良き時代を経験しました。
毎年11月は「品質月間」で、製鉄所に限らず東京本社各課にもカイゼン提案を出すようにと割り当てがあり、鋼管部配管輸出課に属する私は一番若かったことから、「改善提案」を数多く引き受けていた頃があります。カイゼンの意義などについての教育・トレーニングもなく、いきなり改善提案フォームを手渡され、短時間で何件かの提案を提出したことを思い出します。つまらぬ提案でも、金一封が出たので銀座で映画を楽しみました。
話を元に戻します。米国産業界では、日本の製造業がアメリカを凌駕し始めたとの危機的認識があり、第40代大統領として1981年1月に就任したレーガン大統領の政権時代、米国財界人が来日し、日本の産業界・ビジネス慣行を調査しました。その際に、品質管理手法・全社的品質管理(後年、「総合的品質管理」と命名)、JIT(ジャスト・イン・タイム)を含むトヨタ生産方式(TPS)に注目が集まりました。
調査団の報告が、1980年代後半、CNNにより全米の視聴者に紹介され、大きな反響がありました。当時、<If the Japanese can do it, so can we?>というフレーズ(日本人にできるのだから、アメリカ人にできないことはない)が、企業のリーダー、メディアで広く使われたそうです。そこで、アメリカ企業の多くが品質管理の専門家を雇い、日本型TQMを従業員に教育、トレーニングしたとのことです。私は協会のメルマガ記事でも言及しましたが、「マーケティングの神様」であるフィリップ・コトラーも、彼の著作(ミレニアム版)で、TQMにつき克明に解説したくらいです。
また、今井正明氏が、KAIZEN-The Key Japan’s Competitive Success(日本の競争力強化成功のカギ)を世に問うたのは1986年であり、彼の著作が、米国財界訪日団の報告内容と並んで米国はもちろん全世界に「カイゼン」に目を注がせるところとなり、KAIZENが国際語になりました。
日本的品質管理の先生はアメリカ人
第二次世界大戦後の荒廃した日本は、経済復興のために政財界は懸命に外貨を稼ぐ努力をするとともに、米国へ視察団を派遣し、先進的工業技術や経営技法、品質管理技法などを学ぶことに心血を注ぎました。
朝鮮戦争が、1950年(昭和25年)に勃発して1953年(昭和28年)に休戦協定が締結され終結。その当時、私は9歳でしたが、戦争が終結したとラジオで聞いたことを今も覚えています。この戦争のおかげで日本は特需に沸いたのですが、1950年代から1960年代初め頃まで日本製品は、世界中で「安かろう、悪かろう」と揶揄されていました。つい最近までの中国の製品も「安かろう、悪かろう」でしたが、今や世界第2位の経済力を誇っています。いずれ、アメリカを追い抜き、世界第1位になると見込まれています。
私は、1999年秋、ISO9001品質マネジメントシステム審査員補の資格を取得する一環として、日本科学技術連盟(JUSE)の品質管理コースを受講し、品質管理7つ道具他の品質管理技法を学びましたが、そのJUSEが、雑誌「品質管理」を発刊したのと同じ年(1950年)、「デミング賞」で有名なウイリアム・エドワーズ・デミング博士が来日し、東京で「品質の統計的管理8日間コース」のセミナーが開催されました。技術者に統計的品質管理の手法を伝える機会となり、箱根では「経営者のための品質管理講習会1日コー ス」のセミナーが行われ、日本の品質管理革命を促進したと言われています。
日本では、デミング博士の品質管理面での貢献により、「品質管理の神様」と称えられ、JUSEにより、デミング賞が創設された経緯があります。しかし、彼はアメリカでは長らく無名の人であったようです。
1980年代後半、CNNがアメリカ全土に、日本の総合的品質管理、品質管理技法のすばらしさを報道した時、日本の品質管理に貢献した人物がデミング博士であったことが全米で知られるようになりました。協会「メルマガ」で私の7月配信をご覧ください。
デミング博士は、市場調査、製品開発、製造、販売の各プロセスが相互に連携し、継続的なフィードバックの輪を形成することの重要性を説き、これがデミング・サイクルと呼ばれ、PDCAサイクルとなりました。
第二次世界大戦後、デミング博士以外にも、日本の品質管理に貢献したアメリカ人がいます。ジョセフ・ジュラン博士です。私が2000年当時作成したセミナー用英文教材「日本型総合的品質管理と日本経済発展の変遷」には、『ジュラン博士は1954年に来日し、品質管理の管理的側面の重要性を指導しました。トップとミドル管理職に対して、品質管理における工程分析、品質分析に焦点を当てたセミナーを開催しました。』と簡単な説明をしていました。当時、私は品質管理の専門書を参考にして教材を作成したのですが、どの書籍を読み、このような説明にしたのか記憶にありません。おそらく、石川薫の著作であったと思われます。本稿作成に当たり、ジュラン博士のことを更に知りたくて、インターネットで検索してみました。
ポイントは、「博士は、1904年オーストリア・ハンガリー帝国(現ルーマニア)生まれ。ウェスタン・エレクトリック社『ホーソン工場』の検査部門で働いた経験を持つ。2008年2月に103歳で他界。『日本における品質管理の発展と日米の友好促進』のために勲二等瑞宝章を授与された」とあります。ちなみに、ホーソン工場は、ハーバード大学のメイヨー教授とレスリスバーガー教授の「人間関係論」・「インフォーマル組織」で有名になった工場であることは、皆さんご存じのとおりです。
デミング博士が哲学的側面に力点を置いた指導をしたのに対して、ジュラン博士は、実務面での品質管理に貢献したと言われています。日本国内で、ジュラン博士はデミング博士に比べ有名ではないのですが、日本を10回も訪問されているようです。1966年の企業訪問時に、作業員が自ら品質改善策を見つけ出して、カイゼンを実行するグループ活動に驚いたとのことです。
これが「全社的品質管理」の中核をなしていた「QCサークル」ですが、彼はこのサークル活動につき、講演や文献でほめたたえたとのことです。「QCサークル」は、現場第一線の従業員がメンバーを構成して自分たちの仕事の質、製品の品質を継続してコントロールするグループですが、ジュラン博士は管理職でもない一般従業員が、自主的に、相互に協力しながら、品質管理のツールを使って問題解決に挑む姿に感激したのだと想像ができ、当時のアメリカ企業の中ではありえない活動であったことは察しがつきます。
蛇足ながら、ジュラン博士がホーソン工場で勤務したのは1924年から1928年で、レスリスバーガーが「ホーソン実験」をしたのは1927年~1932年ですから、私は、二人が工場内のどこかで顔を合わせたのではないかと思っています。学生時代、ホーソン工場の実験でインフォーマル組織が仕事の効率をあげることを学びましたが、ジュラン博士がホーソン工場で勤務していたことを、私はもちろん、知りませんでした。
QCサークルは、製造会社で活動するグループですが、1990年後半頃より、製造現場のみならず、医療関係事業、サービス事業でも少人数によるグループ活動が行われるようになり、「小集団改善活動」の名称が使われるようになりました。今もなお、QCサークル全国大会(小集団改善活動)が開催されています。
本配信の最後に、日本の総合的品質管理と経済発展のポイントとなる歴史的展開をご紹介します。図1-4は、私が2010年前後に作成したセミナー用PPT資料(英文)の一部を日本語訳したものです。したがって、最近の展開を反映していないことをお断りしておきます。

【玉井 政彦】
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