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診断士インタビュー
湯山隆
会員

診断士の匠「地元への貢献を合言葉にチャレンジし続ける」

診断士として長くご活躍されている先輩から、その知恵やアドバイスをいただく『診断士の匠』。
大手製造業で事業責任者や相談役を務められ、現在は独立診断士として神奈川県中小企業診断協会及び診断士会の執行役員や公益推進部の部長なども務めてこられた湯山隆さんにお話を伺いました。
プロフィール
経済産業省認定経営革新等支援機関
1993年(平成5年)中小企業診断士登録
●現在のお仕事について教えてください
地元の市役所からの依頼で経営改善相談窓口を週2日、年間を通じて行っています。県の商工会連合会からの専門家派遣や、地元の商工会議所から事業者への支援依頼があります。最近はいろいろな接点から直接事業者から依頼を受けたりもします。もともとは製造業出身で製造業が強いはずなんですが、県西は製造業がなかなかなくて、結果的にお肉屋さんとか小売業さんだとか飲食店さんとかからの仕事を頼まれることが非常に多くて、色々勉強させて頂いていますし、自分としては面白いお仕事をさせてもらっていると思っています。
●仕事の中で大切にしていることを教えてください
わたしの基本方針は生まれ育てて頂いた地元へ貢献したいという思いです。高校まで地元の小田原で育って大学は横浜に通いました。最近30数年ぶりに地元に帰ってきました。帰ってきてからも新幹線で東京に通勤していたので地元との接点がなかった。あまり親孝行もできなかったので反省して地元に貢献しようと思ったんです。高校野球部のOB会長も務めていますがこれもやはり地元へ貢献できたらという気持ちでやっています。仕事を進める上では事前にamazonで本を買ったり、日経電子版とかを5年分位ザーっと見たりしてみる。知識を蓄えた上で事業者と話していくと、その業界が見えてくる瞬間があるんです。まさしく目から鱗が落ちる瞬間が来ます。
●診断士を取られた経緯について教えてください
診断士は30代半ばの1993年に資格を取りました。私は技術屋でしたが、当時は文系の方が出世が早かった。なんでだろうと思ったときに、技術屋は専門の範囲で自分で視野を狭くしてしまっている、世間を広くしたいと思っていたところ、たまたま診断士の資格があるということを知って挑戦してみようかとなりました。受験時代は仕事を終えて毎晩9時、10時に帰ってきてから独学で勉強したのだけどとても楽しかった。みんな自分の仕事は一番大変で一番重要な仕事だという気概でやっていると思うのだけど、会社ってこんな風に回っているんだ、とか本社の機能でとても大事なんだとか、世の中の仕組みがというものがわかってきてね、目から鱗が落ちるような気持でとても面白かった記憶があります。
●診断士に登録された後からの歩みを教えてください
土日も仕事があり、しばらく休会していました。小田原に帰ってきてから地元に貢献したい思いが募り、診断士の資格を持っていることを思い出して活動を再開しました。試験を受けた時も独学だったので診断士の業務に関してはほとんど何も知りませんでした。それで協会に入らせてもらったり、翌年に士会が出来たのでそこにも入らせて頂いたりしてたまたま営業部の募集があったので手を挙げたらやらせてもらえた。信用金庫などへ士会のPRをする仕事でしたが最初は信用金庫や地域金融なんて何もわからない。いろんな人脈をたどってあちこちの役員の方にPRさせてもらいました。ただ1回目はいろいろな伝手があるので会ってくれたけど、問題は2回目ですよね。2回目以降会ってもらうためには会う価値があると思ってもらわなければならない。そこで信用金庫とか地域金融とか国の考え方とか必然的に勉強せざるを得ないんですよね。相手の話に対してどういう言い方しないといけないとか、いろいろ自分たちなりにシミュレーションしていった過程がすごく勉強になってよかったと思っています。
●若手や新人診断士に向けてアドバイス、メッセージをお願いします
本職の製造業とは全然違うことを中心にやっているので、常に勉強が必要である意味では非常に効率の悪い仕事だと思いますが、自分のポテンシャルや、知らなかった強みが見つかるチャンスだと思います。若い方たちにはいい機会だから新しいことにどんどん挑戦してほしいと思っています。
【松田 陽介】